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第5回 【想像力と感情注入】

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単なる「わが家のぬいぐるみ自慢」ばかり書いていると、
人格や頭脳構造を疑われそうだ。
(すでに十分すぎるほど疑われているかも・・・)

従って「なぜぬいぐるみに愛情が湧くのか」ということに関して、
もう少しだけ堅苦しい考察(弁明?)を続ける、どうかご勘弁願いたい。

相手は生き物ではないので、当然のことながらしゃべりも動きもせず、
こちらの言動や行動に対して何のリアクションも期待できない。

そんな「作りもの」であるぬいぐるみに、いったいなぜ愛情が湧き、
しかもそれが持続し得るのか?

それこそ、われわれ人間の「想像力」のなせる業だと実感する。

毎夕の晩酌時にはクロを私と妻の間に置く。
前回の写真のように、3人がけのソファの中央がクロの定位置だが、
単にソファの上に置いただけでは、高さ的に、クロがテレビを観ることができない。

…ぬいぐるみがテレビを観るわけねえだろ!
と、ツッコミたいお気持ちはわかるが、文脈上、なにとぞ堪えていただきたい。

そこでソファの上にクッションを縦に置き、その上にクロを座らせる。
そうすることでクロの目線(苦笑)の先にテレビ画面がくる。

普段は散歩や旅などの、当たり障りない番組を観ることが多いのだが、
先夜たまたま、野村芳太郎監督の「八つ墓村」を観た。

クライマックス近く、悪魔の如き白塗りの化粧を施した小川真由美が、
暗く広い洞窟の中で萩原健一を追い掛け回す姿はまさに鬼気迫るものがあった。

そこでふと私の左隣にいるクロを見ると、
大きく見開かれた彼の両目が、心なしか恐怖に怯えているように見えた。
・・・われながら失笑を禁じえないが、だってそう見えたんだもん。

しかし同じように感じたであろう妻は思わずクロを抱き上げ
「怖かったね~、かわいそうにね~、大丈夫だからね~」と胸元に抱きしめた。

断っておくが、妻も私も心から本気でそう思っているわけではない。
半分は「ペットごっこ」を楽しんでいる、といってもいいだろう。

しかしかといって、100%冗談で面白がっているかといえば、決してそうでもない。
多少ならずもクロが「恐怖に怯える表情に見えた」ようじ感じられたのは本当だ。
「目は口ほどにものを言う」というが、まさにその通り。

これが、われわれの「想像力」に基づく「感情注入」でなくて何であろう。

何もペットに限ったことではない。
たとえば母親が、まだ考えも話もしない赤ちゃんに

「パパはこれだから困りまちゅよね~」

などと赤ちゃん言葉で話しかける場面は日常的で容易に想像できるが、
これだとて同じこと。

赤ちゃんが理解できるわけもないのを百も承知で、
たとえ面白半分だとしても、そに理解と同意を求めているのは、
母親の「想像力」が赤ちゃんに「感情」を持たせている、
つまりは擬似的に注入しているからに他ならない。

さらに例を挙げると、誰でも知っている、日本は舞浜に生息するあのネズミとその一群。

元は作者の描いた1枚の絵に過ぎなかった。
それがアニメーターの想像力(に加えてこの場合は創造力も)によって
スクリーン上に「動き」「言葉」そして「感情」までもが注入された。

そしてそれを見た観客もさらなる感情を注入する。

現在舞浜に生息する連中も(運営会社側が何と言おうが)
断じて生きものではなく単なる着ぐるみだ。

中に入ったスーツアクターたちの卓越した「想像力」と「演技力」が
着ぐるみたちに「動き・言葉・感情」といった「擬似的生命力」を注入し、
訪れた多くのゲスト、それも子供のみならず大人までもが「夢の世界」に酔う。

赤ちゃんの例は別としても、
命なきものに、たとえ擬似的であっても、生命を吹き込むのは、人間の大いなる想像力。
その点においては、舞浜のネズミたちも、わが家のクロも何ら変わりなかろう。

難しい話はここまで、次回はクロと旅に出る。

(上の写真は毎朝居間のソファの袖に座り、妻が起きてくるのをじっと待つクロ)
 

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おじちゃん

現在63歳の自営業男性
妻とクロ、赤ちゃんとの4人暮らし。