
ここまでお読みくださった読者諸兄の中には
「ペットを飼いたくても飼えないのでぬいぐるみで我慢してるんだな」
そのようにお思いの方もおられようが、それは違う。
とはいえ、自宅の集合住宅はペットの飼育・持込が固く禁じられているので
どのみち「飼えない」という状況下にあるのは間違いない。
しかし「事情が許せばペットを飼いたいか?」と問われれば、
妻も私も
「NO!」
と即答する。
そして、そこには私たちなりの理由がある。
■清潔な暮らし
前にも述べたように、私の実家は35年間にわたって猫を飼い続けてきた。
実家といっても、私が生まれ育った家は
今から13年前に道路拡張により立ち退きを余儀なくされた。
幸い、そこから徒歩10分の、広い意味では同じ街に代替地が見つかり、
そこに新たに建てた家に、両親と当時の飼い猫4匹が移り住んだ。
私はその頃すでに独立していて新たな実家に住み暮らした経験がないので、
そこは厳密には実家でなく、あくまで「両親が新しく住む家」に過ぎなかった。
言ってしまえば「自分は住んだことのない、ある意味他人の家」。
そこで気になるのが、他人の家だからこその「臭い」。
自分が長年住んだ旧実家ではまったく気にならなかった「猫の糞尿の臭気」が、
新築の家なのに、イヤというほど鼻につく。
それだけではない。
猫たちの毛が家中のあちこちに散乱し、ノミは我がもの顔で床を飛び跳ねる。
それは猫を飼っている家ではごく当たり前のことだが、
そうでない環境に住み慣れた者にとっては、もはや耐え難い。
昨年8月から住み始めた現在の自宅は前述の通りペット飼育禁止だが、
それまでの住まい(築40年の集合住宅)とは比較にならないほど清潔だ。
もし、仮にペットOKだとしても、私も妻もここで猫を飼う気にはとてもなれない。
(妻は私との結婚前に犬を飼った経験はあるが、猫は未経験)
しかし、わが家のクロは糞尿を撒き散らさない(吐しゃもしない)。
毛も抜けないし、ノミも寄ってこない、常に清潔だ。
■安心感
なにせ実家ではおよそ35年の長きに渡り、数多くの猫を飼ってきたので、
その分だけたくさんの死に目に遭ってきた。
あるものはケンカで噛まれた傷が元で破傷風にかかり、
またあるものはある朝突如としててんかんの発作を起こし、
さらに悲惨だったものは、実家から少し離れた路上でクルマに轢かれた。
13年前の実家移転時に連れてきた4匹の猫は、
生まれて以来一度も外に出さなかったので
不慮の事故やケガで命を落とすことはなかったが、
その最期はむしろ悲惨だった。
特に最後まで残ったオスの黒猫(これも名前はクロ)は悪性腫瘍を発症し、
動物病院で大手術を受けたにもかかわらず、
退院後しばらくして実家で命尽きた。
隣町にあった動物病院に入院中の黒猫を妻と見舞ったときのこと。
檻の中で、もはや立ち上がることさえままならぬのに、
私の声を聞き分け、懸命ににじり寄ろうと力を振り絞る彼の姿に、
切なさと哀しみと愛おしさが入り混じった、なんとも言えぬ感情に襲われた。
生きものはいつか必ず死ぬ。
元気なうちは幸せでも、辛く哀しい別れがやがて必ずやってくる。
しかし、わが家のクロは、いつまでも愛らしい子猫のままで、
決して死ぬことなく、病気にさえならない。
この先ずっと、私たちを悲しませることはありえない。
「そんなこと言ったって所詮はただのぬいぐるみ、
生きてないから動かないし、コミュニケイトできないではないか」
けだしごもっとも。
私たちにとってクロは「都合の良い家族」であるのは間違いない。
しかし、むしろそれこそが大事だと思い始めた今日この頃。
長くなったのでこのことについてはまた別の機会に。
(上の写真は居間のソファにちょこんと座るクロ)
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